ブナカナウ Vunakanau
パプアニューギニア
ジャスティン・タイラン
Justin R. Taylan
「PACIFIC GHOST」主宰。太平洋の戦争遺跡の調査を行い1997年からインターネット上で情報の公開を行っている。現在は世界中から多くの協力者を得て、発見した航空機の保存、遺品、遺骨の返還など活動を行っている
2001年ヘリコプターから撮影
Photo:Sakaida
オーストラリア空軍24飛行隊の基地としてオーストラリア人によって建設され西飛行場として知られていた。開戦に伴い、1942年1月4より陸攻、飛行艇が複数回ラクナイ、ブナカナウ飛行場を爆撃。20日にはワイラウェイ戦闘機が迎撃に上がるが殆どが撃墜、撃破されてしまう。そして1月22日、負傷者と戦死者を乗せたハドソン爆撃機は滑走路を飛び立ちラバウルは放棄される。24飛行隊の生き残りは飛行艇や船によってポートモレスビーへ向け脱出した。

1月23日。前夜上陸した部隊より「トタ・トタ(我、上陸ニ成功セリ)」の中波が飛び、午後までには抵抗も無くラバウル市街、ラクナイ、ブナカナウ飛行場は占領された。

日本軍では零戦など小型機が使用したシンプソン湾に面したラクナイの空港を「東飛行場」「下の飛行場」と呼び、中攻隊の使用したブナカナウを「西飛行場」「上の飛行場」「山の飛行場」と呼んだ。

陸攻隊の到着は1942年2月7日、千歳空の96陸攻3機であった。

ラバウル市内から約20km。現地は背丈程の草に覆われており2-3の滑走路や誘導路を除き当時の遺構を見つけるのは難しい。しかし、上空から見ると草地が滑走路に沿って広がりかつて巨大な飛行場であったことが分かる。

近辺には村が点在し道も整備されている為、車であれば容易に行く事が出来る。

地上からの眺め(車の屋根によじ上って撮影!)Photo:Sakaida
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